2016年に公開された映画『セトウツミ』。菅田将暉と池松壮亮がW主演を務めたこの作品は、「ただ高校生2人が話すだけ」という特殊な映画として話題になりました。しかし一部では「何も起きない」「退屈」といった声も。本当にセトウツミの映画はひどいのでしょうか?今回はセトウツミの評価やレビューを徹底分析してみました。
映画『セトウツミ』とは?
セトウツミは此元和津也の漫画を原作に、大森立嗣監督が映画化した作品です。高校2年生の瀬戸小吉(菅田将暉)と内海想(池松壮亮)が放課後に河原で「無駄話」をするだけという、非常にシンプルな設定。
そこに樫村一期(中条あやみ)やヤンキー先輩などが絡み、わずかな波風が立つ程度のストーリー展開です。上映時間はなんと75分と短め。「この川で暇をつぶすだけのそんな青春があってもええんちゃうんか」というキャッチコピーがこの映画の本質を表しています。
なぜ『セトウツミ』の映画が「ひどい」と言われるのか?
セトウツミの映画がひどいと評価される主な理由は、以下の点です。
- 取り止めのなさ:ストーリーらしいストーリーがなく、ただ2人が会話するだけ
- 物語の展開がほぼない: 従来の映画的な「起承転結」を期待すると肩透かしを食らう
- 舞台もほぼ一か所:河原の階段というロケーションがメイン
特に物語展開を期待する観客からは「何も起きない映画」として批判されることがあります。
映画『セトウツミ』:実際の評価は?
FilmarksやSNSでの評価を見てみると、セトウツミの評価は意外にも高いことがわかります。Filmarksでの評価は平均3.8点(5点満点)で、決して低くありません。
多くの高評価レビューに共通するのは以下のもの。
- 池松壮亮と菅田将暉の演技は「2人の掛け合いだけで75分持たせる演技力」と絶賛する声が多数
- 独特の間と会話のリズムが漫才のようで掛け合いが面白い
- 誰もが経験した無駄な時間の尊さを思い出させる青春の一コマを切り取った感覚
一方、低評価の理由は以下のような声があるようです。
- 取り止めがなさすぎる
- ストーリー性を求める人には向かない
- 何も起きないことに退屈を感じる
隠れた深み
表面上はただの「無駄話」に見える映画ですが、実は各キャラクターの背景や心情が繊細に描かれています。瀬戸と内海の対照的な性格や家庭環境、樫村を巡る微妙な三角関係など、セリフの端々に人間関係の機微が表現されています。「猫の治療代が家庭を圧迫している内海」や「教育熱心な家庭の瀬戸」など、直接的な描写はなくても会話から彼らの生活背景が浮かび上がってくるのです。
音楽とトーンの絶妙さ
本作の魅力の一つに「狂おしいタンゴの調べ」と評されるBGMの使い方があります。何気ない日常会話に独特の音楽を重ねることで、シュールな笑いと哀愁を生み出しています。
また大森監督特有の演出手法も相まって、エピローグ部分の回想シーンなどは特に評価が高いようです。
まとめ
セトウツミは確かに従来の映画の常識から外れた作品です。しかし「ひどい」というよりは、独特な魅力を持つ映画と言えるでしょう。
従来の映画的な展開や派手なシーンを期待すると失望を感じるかもしれませんが、日常の何気ない会話、関西弁の掛け合い、若い俳優たちの演技力に価値を見出せる人にとっては、非常に魅力的な作品です。「この川で暇をつぶすだけのそんな青春」を75分という短い時間で切り取った本作は、映画として挑戦的な作品と言えるのではないでしょうか。菅田将暉と池松壮亮という今や日本を代表する俳優2人の若かりし頃の演技を見られるという点でも、今見返す価値のある一本です。